子育てが大変だということは、充分理解していたつもりだった。
妊娠がわかったあの日、私の手を取り泣いて喜んでくれた彼を
見て、子供を生み育てる覚悟をしたはずだった。
育児の本も読んだし、困ったときの対処法も一通り勉強した。
でも、現実はそんなにうまくいかない。
子育ては想像以上に嬉しくて、楽しくて、愛しくて、
…辛いものだった。

「ほら、泣かないの、いい子だから。」

夜泣きがひどい子、そうでもない子、いろいろいるだろうが
どうやらわが子は前者らしい。
必ず、泣く。そして、一度泣き出すと朝までなかなか寝てくれない。
いつもは彼もあやすのを手伝ってくれるのだが、
こんな状態が三日も続いた今日になって、俺はもう無理だと言って
早々に戦線離脱し、居間で寝入ってしまった。
育児休暇中の私と違って、彼は昼働いているのだから仕方ない。
そう考えて納得しようとしたが、どうにもやりきれない。
不安とか落胆とか、もやもやした重たいものが胃の底で
ぐるぐると渦巻いている。
あ、なんだか目頭が熱くなってきた。

抱き上げても、ミルクを飲ませても全く泣き止まない。
こうなると、愛しさより苛立ちが勝ってくる。
お腹も空いていないし、オムツも濡れていない。
なら、どうして泣き止んでくれないんだろう?
万策尽き果て、効果はないと知りつつも抱き上げて優しく揺する。
泣き声で起きてしまったのだろうか、隣の部屋からは彼の舌打ちが聞こえてきた。なによ、文句あるならあんたも手伝いなさいよ。
…とは言えない。こんなことで気をつかわなきゃならないのなら、
これから私たちは大丈夫なんだろうか。

赤ちゃんができたって言った時は、あんなに喜んでくれたのに。
言葉に出して呟くと、いろんな感情が湧き上がってきた。
さっきはどうにか我慢できたのに、今度は鼻の奥がツンとなって
ぼろぼろと涙が滴り落ちる。嗚咽だけは漏らすまいと必死で
下唇をかみ締めた。こんなことなら、赤ちゃんなんて産まないほうがよかったかもしれない。
寝不足と涙で真っ赤になっているだろう目をこすっていると、
腕の中で、ついさっきまで大きな泣き声を上げていたわが子が
きょとんととぼけた顔で私のことを見上げている。
お母さんが泣いているのは、あなたのせいよ、という思いを
ほんの少しこめて、柔らかなほっぺたをふにふにと、つつく。
機嫌のいいときはこれで笑ってくれるんだけど、また泣かれると
困るからと思い手を離すと、今度は我が子が、私のほうに
小さな紅葉みたいな手をまっすぐに伸ばしてきた。
素直に顔をそっと寄せると、赤ちゃんはその温かな手のひらで
私の頬を、まるで涙のあとを拭うようにぺちぺち触った。
そして、にっこり、笑う。

「だあ、う。」

まんまるな顔に笑みをたたえて、何が楽しいのか、体を
左右に動かしている。
思わず笑ってしまった私と、かわいい怪物みたいな我が子を、
カーテン越しの闇に浮かぶ満月が淡く輝いて照らしていた。

(・・・泣き止んだのか?)
(うん、今度は笑ってるの。)
(かわいいな)
(かわいいね)
(・・・今日は、ごめんな)
(・・・うん)






















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