立ち入り禁止と書かれた貼り紙を無視し、階段を駆け上がる。
君からもらった合鍵を握り締めた手のひらが、汗ばんで気持ち悪い。
息の音と心臓の音が、なんだかやけにうるさい。
屋上に続くドアをそっと開けて、隙間から覗き見る。
灰色のコンクリートが雨に打たれて、埃っぽい匂いと雨の匂いが入り混じっている。
本日の降水確率50%。分厚い雲が太陽を覆い隠して、雨粒を落としている。
じっとりと湿った灰色の世界に、白いシャツの君が一人、寝転んでいた。
雨を落とす空にその青白い腕をまっすぐに伸ばして、
掴めない何かを掴もうとするように、そっと開いた手のひらを閉じる。
それはなにか神聖な儀式のひとつのようにも見えて、
口を開いたまま動けなくなってしまった。
今は、何も言ってはいけないような気がして。

「ねえみっちゃん、」

雨ってこんなに気持ちよかったっけ、と空を見上げたまま君がつぶやく。
答えはいらない、というように静かに目を閉じて、君は雨に打たれ続けている。
肩までの黒髪が、上気した頬にはりついている。 

“こっちにこいよ”とか“下着、透けて見えてる”とか、
言おうと思っていた言葉は全部、いつの間にか雨にとけて消えた。
俺には何もできないし、何も言えない。
ふとそう思ったとき、なんだか鼻がつんとして
温かいものが頬をつうっと伝っていた。
ぐっと拳に力をいれて上を見上げて、必死で涙腺を引き締めようとするけれど
どうにも上手くいかなくて、涙は未だ止まらない。
コンクリートの上にできた湖に、俺の涙がぽつぽつ落ちる。
そのさまをじっと睨みつけた。

「泣かないで。」

灰色の世界に、神のお告げみたいに君の声が響いた。
しんと響く静かなその声は、優しいソプラノ。
泣いてなんかいないと言おうとして、言葉の代わりに嗚咽が漏れた。
乱暴に裾で目を拭い、顔をあげて見つめた君の目からも
一筋の涙がこぼれているように見えるのは気のせいだろうか。
こちらに向けて伸ばしているその腕に巻かれた包帯から、
生生しい赤色がにじんでいるように見えるのは気のせいだろうか。
俺には何もできないし、何も言えない。
いままでもそうだった。きっとこれからもそうだろう。

かける言葉も見つからないし、どうしていいのかも分からないが
降りしきる雨の中、灰色の世界、君のところまで駆けていく。
ほんの数歩ほどしかないはずの距離が、やけに遠く感じられる。
どうか遠くに行かないで。俺の手の届く距離にいて。
今はただ、冷え切った君の手を強くにぎりたいんだ。



落ちた涙は に消える




























inserted by FC2 system